山岡鉄舟先生 剣禅話
山岡鉄舟先生
1836年7月23日-1888年7月19日
剣禅話
剣法論
剣法と禅理
浅利又七郎義明との出会い。
1822年〜1894年
外柔にして内剛なり。
精神を呼吸に凝らし、勝機を未だ撃たざるに知る。
剣禅兼至るの人。
滴水禅師
1822年〜1899年
両刃交鋒不須避。好手還同火裏蓮。宛然自有衝天気。
りょうばほこをまじえ、さくるをもちいず。こうしゅかえりて、かりのはすにおなじ。えんぜんおのずからしょうてんのきあり。
先ず我が心の明らかなる時に確と思い極め置き、事に着手すれば、是非に執着せず。
之を剣法に試み、夜は復た沈思精考し、従前の如く専念呼吸を凝らし、釈然として天地物なきの心境に坐せるの感あるを覚ゆ。
学剣労心数十年。臨機応変守愈堅。
一朝塁壁皆摧破。露影湛如還覚全。
論心総是惑心中。凝帯輸籯還失工。
要識剣家精妙処。電光影裏斬春風。
剣法邪正弁
1882年明治15年1月15日鉄舟45歳
我体を総て敵に任せ、敵の好む処に来るに随ひ勝つを真正の勝ち。
自然の勝ちにして、法なき所以なり。
直に勝気を先んじ、妄りに血気の力を以て進み勝たんと欲するが如し、これを邪法と云う。
剣法の真理は万物大極の理を究むる。
無刀流と称する説
1885年明治18年1月15日鉄舟48歳
無敵に至りたるを以て至極とす。
心外に刀なきを無刀という。
無刀とは無心と云うが如し。
無心とは心を留めずと云う事なり。
浩然の気、天地の間に塞つ。
必ず疑を容れず刻苦修行あるべし。
剣術の流名を無刀流と称する訳書
1885年明治18年5月18日鉄舟48歳
無刀とは心の外に刀なし、三界唯一心。
一心は内外本来無一物。
前に敵なく、後に我なく、妙応無方、朕迹を留めず。
無刀流剣術大意
一、無刀流剣術者は、勝負を争はず、心を澄し胆を練り、自然の勝を得るを要す。
一、事理の二つを修行するに在り事は技なり、理は心なり事理一致の場に至る是を妙処と為す。
一、無刀とは何ぞや、心の外に刀なきなり敵と相対する時、刀に依らずして心を以て心を打つ、是れを無刀と謂う其の修行は、刻苦工夫すれば、譬えば水を飲んで冷暖自知するがごとし、他の手を借らず自ら発明すべし。
一刀流兵法箇条目録
1882年明治15年4月8日鉄舟45歳
万物、大極の一より始まり、一刀より万化して一刀に治まり又一刀に起こるの理有り。
一刀流は活刀を流すの字義あり。
流すは、すたるの意味なり。
一刀に起こり一刀にすたる。
後人師のくせを学ぶが流なり。
武芸の総名兵法なり。
一芸の一理を以て万理におしうつる。
陰陽循環して玉のはしなきが如く。
無量にして極りなき心を以て。
一、二之目付之事
先ず一体に見る中に、切尖、拳に目を付く。
己、彼をも知る必要あるを以つ。
一、切落之事
火の生ずる如き、間髪を不容の処。
いつの間にかあたる一拍子。
切落すと共にあたりて勝つ理。
一、遠近之事
打つ間、相手に遠く、自分に近いこと。
近き拳に勝ちあるを知って、遠き面を打つ。
一、横竪上下之事
真中の処。
上来下応、横来竪応、心中央にあり気配自由。
一、色付之事
相手の色に付かず。
一、目心之事
心の目にて見る。
一、狐疑心之事
疑心を起こすな。
一、松風之事
合気を外す。
一、地形之事
順地逆地の事。
我を順地に、相手を逆地に。
一、無他心通之事
相手を打つ一偏の心になれ。
一、間之事
一足一刀。
一、残心之事
心を残さず打て。
惜しまずすたること当流之要とす。
竹刀長短の是非を弁ず
1883年明治16年9月14日鉄舟47歳
剣の寸尺十拳。
十拳は身の半体。
剣と半体を合わせ我全体となる。
真剣実地の用に当る。
素面木刀試合の説
優勝劣敗は当然のこと。
大工鉋の秘術
大工の鉋を遣う術。
荒しこ
体を固め、腹を張り、腰をすえ、左右の手に等しく力を入れて総身の力を込め、荒削り。
中しこ
手の内に加減ありて平らかに削る。
上しこ
始より終り迄、一鉋にて削る。
修養論
武士道
1862年万延元年3年20月山岡鉄太郎25歳
神儒仏三道融合の道念
己れ勝つ事のみを知って、負る事を知らざるは武士道にあらず。
武士道は、本来心を元として形に発動するものなれば、形は、時に従い事に応じて変化遷転極りなきものなり。
諸行無常の理
修心要領
1858年安政5年7月鉄太郎21歳
人の心、宇宙と等し、四季の変遷も、皆我が起臥進退の行いあるが如きなり。
世事の顚倒、人事の順逆は恰も人生の陰陽あるが如し。
唯だ道に従って自在なるのみ。
剣法の呼吸に於いて神妙の理に悟入せんと欲する。
剣法を学び、心胆錬磨の術を積み、心を明らめて以て己れ亦天地と同根一体の理、果たして釈然たる境に到達せんとするのみ。
心胆錬磨之事
1858年安政5年3月鉄太郎21歳
真に胆の豪なるものは、時に応じ、事に接して変化縦横、人其消息を知るべかざるもの。
先ず思いを生死の間に潜め、生死は其帰一なる事を知覚する事肝要なるべし。
経験と鍛錬とにより、習慣性をなす。
唯潜心工夫、其心に会するあるのみ。
生死何れが重きか
1859年安政6年3月鉄太郎22歳
某人傑と問答始末
1864年元治元年12月鉄太郎27歳
父母の教訓と剣と禅とに志せし事
1864年元治元年正月鉄太郎27歳
八、九歳の頃、忠孝の道に志す。
長徳寺の願翁禅師より、本来無一物に参ずる。
今大要を録し温故知新の則となす。
書法に就て
十一歳、愚父朝右衛門に従う。
岩佐一亭
剣師 井上清虎
画師 梅宰
弘法大師恰も雲煙龍飛すりが如し。
明治十三年剣禅ニ道に感ずる処あり。
本年正月、楽書、十八万一千余。
仏教之要旨(門生聞書)
鉄券之説(門生聞書)
維新覚書
朝廷に奉仕する事
1872年明治5年12月宮内侍従 山岡鉄太郎誌36歳
本来の考えに違っていないことを誓う。
晴れてよし曇りてもよし富士の山 もとの姿は変らざりけり
西郷氏と応接之記
1882年明治15年3月山岡鉄太郎誌45歳
覚王院上人と論議之記
1883年明治16年3月山岡鉄太郎誌46歳